| 社長の薮崎佐登志さん(昭和23年生 まれ)はにこやかにボクらを招じ入れた。ボクが、販売員さんから手に入れたホッ トドッグの歌詞カードには「パート2」と あったので、まずパート1というものの存 在について聞いてみた。すると、社長は二種類の歌があると告げた。パート1は巷に流してないのだろうか。「車が二種類あるんですよ、ホットドッグ 専門の車と、アイスクリームとホットドッ グと両方売る車と。パート1のほうはホッ トドッグ専門の歌なんですね」
そうかそれでパート2には「アイスクリ ーム、アイスクリーム、アイスクリームだ よう」とアイスを全面に押し出しているの か。
「ハハハハ。移動販売は特殊な商売のやり 方ですから、やはりまず最初にアピールす るのは歌ですからね」
なるほど、確かにウチの事務所があると ころの神田界隈ではもう知らない人がいな いぐらいだ。夕方になると、来るぞ来るぞ そろそろ来るぞとみんなが待っている。
「ハハハハ。よく言われるのは、大学堂さ んが来たから、きょうは金曜日だとわかる とか、もう五時かとかいう感じでね」
カレンダーと時計がわりか。石部金音さ んみたいだな。
ところでなぜ「大学堂」というのだろ う。大学イモでも売っていたのかな。
「僕もよくわからないんですけどね。僕は2代目の社長ですから」
ということはお父さんがやっていた?
「全然関係ないんです。僕はアルバイトみ たいな形で、腰掛け程度の仕事として考え てたんですけど、いつの間にか大学堂を引 き継ぐことになって」
大学堂がこの商売を始めたのが昭和42 年頃。それ以前に大阪の方で、車でホッ トドッグを売っていた会社があったとい う。それをみた大学堂の先代社長が、面白 い商売があるぞということで、何人かで見 に行った。これを東京に持ってきてやった らいいんじゃないかということで、三人 で「大学堂」という名前で別々に始めたと いう。小岩と、葛西の近くの春江町、それ から市川の辺りだった。そのうち春江町の 系統を引くこの会社だけが残ったという。
先代の社長はバブル経済の時期に不動産関 係の仕事がしたくなり、薮崎さんに「任し たよ」と言って引き継いでいってしまった という。 ありゃま。
薮崎さんも当初は「こりゃダメだろう な」と思っていた。当時、キャベツが高騰 していて、赤字続きになり、すぐに止める つもりだったという。そして、「磁気布 団」売りに目をつけ、その販売にのめり込 んだ。ある程度は売れたが、これがマルチ 商法。友だちを無くすなと感じた薮崎さん はすぐに手を引いた。
「その時、自分がやっていたホットドッグ の商売が良いものに見えたんですよ。外国 から日本をみたようなものかな」
薮崎さんが社長になってから19年。初 めは、駅前とか商店街の一角で静止して販 売していたが、薮崎さんが、移動して売り 歩くやり方を考えついたという。
「屋台の引き売りは色々ありますけど、ホ ットドッグの引き売りというのは僕が初め てじゃないかと思うんです」
道路交通法の関係で、一箇所には大体五 ~十分しか停車できない。だが、短時間に ただ止まっていてはただのトラック。これ では、誰もわからない。
そこで、家の中に 住んでる人を呼び出すには少しびっくりさ せてやろうと薮崎さんは考えた。「ちょっ と面白いようなもので引っ張り出そう!」 と。
それが「歌」だった。
「昔から夜鳴きそばとか焼き芋屋さんは、 テーマソングがあるんですよね。『え~、焼き芋~』とか言うとすぐわかるし、ラーメン屋もチャルメラという曲があります」
しかしホットドッグ屋にはなかった。それでちゃんとした歌にしたというワケだ。 |